読書に意味なんて必要ないけれど。

会社のこと

こんにちは。Chapters bookstoreの森本萌乃です。

みなさんは、自分が読書をする理由について考えたことはありますか。

私は、あります。めちゃくちゃあります。

書店主になってはや半年が過ぎ、メディアの方やお客様から、サービス内容に加えて私自身の読書愛や好きな本について、時々質問を頂くようになったからです。

この問いについてはぼんやりと自分の中で考え続けてきたのですが、今年なんとなく、答えにたどり着けた気がするので、今日はここに書き残したいと思いました。

私が読書をする理由。私はどうやら、言葉に”撃たれたい”みたいです。

主成分は自意識。

私は自意識が高くてカッコつけたがりの性格で、自分の言葉が人に与える印象について、嫌でも常に意識をしてしまいます。

「村上春樹が好き、と言ったらそういう人に見られるだろうか」

「江國香織が好き、と言ったらそういう人に見られるだろうか」

そういう人ってなんだよって感じですが笑。(ちなみに二人とも好きな作家さん)

自分の内側から湧き上がる答えを前に、いちいちこういうことを考えてしまうんです。固有名詞をあげなくちゃいけない時は特に。

(余談ですが、Chaptersの本を毎月ブラインドで選ぶのは私のこうした性格に基づいている部分も大いにあると思います。)

読書をする理由を答えるのに固有名詞は必要ないですが、一応本屋さんを開いたものですから、その場しのぎでやり過ごしてはいけないこの問いへの言語化に、ずっと悩んでいたのです。

読書をインプットと呼ぶ、そういう人。

本を読むと賢くなる。長生きできる。人生が豊かになる。

巷では読書をする適当な理由がたくさん転がっています。でも、これらは全て自分の読書をする理由に当てまらなくて。

こうして、世の中に落ちているそれっぽい理由を調べ始めるとより一層自意識が邪魔をして「読書をインプットとか呼ぶそういう人には見られたくないぞ」(そういう人ってなんだよ再び)とか、その言葉が持つ見られ方の方が気になるようになり、読書をする理由探しの道からどんどん遠のいていくばかりでした。

言葉に撃たれたい

で、やっとたどり着いた理由がこれでした。

答えは自分の読書ノートの中にありました。

私は、本の感想を全てハッシュタグで書き留めています。本を読み終わった後の感想をすぐに綺麗な日本語にまとめる能力がなくて、それでも忘れないうちに書き留めたいと、思いついた関連ワードをハッシュタグでどんどんノートに書いていくんです、汚い字で。

そんな私の読書ノートには、ハッシュタグと同じく汚い文字で、たくさんの引用が残されていました。

だれかを好きになって別れるって、本棚を共有するようなこと。たがいの本を交換し、隅々まで読んでおんなじ光景を記憶すること。 ー角田光代 著/さがしものより

「君は好きなものが多いね」。好きなものだけを口に出して言うようにしているなのに ー江國香織 著/薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木 (こちらだけニュアンスでメモに書き留めていた)

人は変わってゆくんだよ。それは、とても過酷なことだと思う。でもね、でも同時に、そのことだけが人を救ってくれる ー木皿泉 著/昨日カレー今日のパン

六本木のオイスタバーで、本物の真珠に巡り合うくらい難しい ー村上春樹 著 /IQ84より)

ノートの中に残されたこの言葉たちは、時々振り返ったり、ふと目にして改めてぐっときたり。

随分昔から書き留めているので、何にハマったのかは分かりませんが、そこには確かに私の心に触れた瞬間、”撃たれた”痕跡がたくさんちりばめられていました。

ストーリーを追っていない自分に気がついたとき

振り返ってみると、私、本を何ページも読んでいるのに内容が全く入ってこなかったり、ぼーっと読み飛ばして前後のストーリーを勝手に頭の中ででっち上げたり、主人公の年齢性別姿形が全く浮かばないまま読了しちゃうことが、あります。

2冊の本を同時並行で読んで、食事のシーンでは頭の中で登場人物が行き交っちゃうみたいなこともしょっちゅう。

それでも、正直あんまり気にならないんですよね。

映画だとエンドロールが流れた時に「あのシーンのあれはなに?」とか「なんでこれで終わったの?」とか、誰かに聞けます、なぜならみんなが同じ時間で同じ体験をするから。その相手は知り合いの場合もあれば、SNS上の名も知らぬ賢者の場合もあります。

でも本はそうはいかなくて。

読み進めている過程で、ストーリーに置いてけぼりをくらい、それでもなお本を手に取る自分を想う度に考えた「私が読書をする理由」。

自分がストーリーを追っていないことを認めた時、読書ノートの中にその答えを見つけた時、ものすごく楽になったんです。

言葉に撃たれる自意識を超えてすっと腑に落ちた瞬間、もうそれしかないなって思いました。

言葉は時々、私の息を止める

私にとって読書がもたらしてくれる価値。それはふいに訪れる素敵な言葉に”撃たれる”瞬間のため、もうそれだけなんじゃないかと、大袈裟ではなく気がついてしまいました。

だから本はページをめくっているだけで気持ちがいいし、ストーリーが頭に入ってこない本でもあまり気にならない。

読書ってとてもイメージがいいし、エンタメを楽しむ手段としてある種高尚な感じさえするけれど、読書する理由はシンプルだし人それぞれでいいんだろうなと思います。

読書に具体的な目標はいらない

読書を好きな理由を自分の言葉で見つけてみると、今まで以上にリラックスして読書を楽しめるようになりました。難しい本も厭わず手に取れるようになりました。分からないと言えるようになりました。

巷に転がる、読書にまつわる良い話。それらはきっと嘘ではないのでしょうが、そのために頑張るのは少し違和感があります。もしも教養や自己研鑽のための行為ならば、読書も映像も音声も手段でしかなく、自分が取り入れやすいものであれば私はなんでも良いと思うからです。

私が読書をする理由。自分でその答えに気がづいて妙にすっきりしてしまったので、ここに書き記しておくことにしました。

みなさんの読書する理由は、なんですか。

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